実は、私は、辰吉丈一郎選手の大大ファンです。(中学二年生の時から)
最近になって、気づいた事があるのですが、「ボクシングが好き」なのでは無く、「辰吉丈一郎の生き様が好き」だと言う事です。
その理由はどこにあるのか?
辰吉丈一郎選手の生き様は、法華経の「結果は大事であるが全てではない」という教えと強く共鳴しています。
辰吉選手は、怪我や困難に直面しても「リングに立つ」ことを諦めず、長いキャリアを通じて不屈の精神を見せ続けました。
彼の人生は、勝敗やタイトルという結果だけを追求するのではなく、挑戦し続ける姿勢や試練を乗り越える過程に価値があることを体現しています。
法華経では、成仏の道は最終的な結果(成仏)だけを目的とするのではなく、その過程で育まれる慈悲や智慧こそが重要とされています。
この教えにおいて、「方便」や「教えの段階」が説かれており、成仏への過程がどれほど重要であるかが強調されています。
辰吉選手の生き様もまた、勝利や栄光といった結果よりも、己の限界に挑戦し、努力し続ける姿勢に価値を見出す点で、この法華経の教えに通じています。
辰吉選手にとっての「成仏」とは、自分自身の「納得」にあるのではないでしょうか。
法華経では、すべての人が仏になる可能性を持っていると説かれており、どのような道を選んでも、その道に誠実に向き合うことで「成仏の道」に繋がるとされています。
辰吉選手は自身のボクシング人生に対して真摯に向き合い、引退せずリングに立ち続けるという道を選びました。
この生き様は、単に結果としての勝利だけを目指すのではなく、ボクシングを通じた「人間としての魂の成長」や挑戦に価値を見出す法華経の精神を体現していると言えるでしょう。
辰吉丈一郎選手のように、「結果を超えた価値」を信じ、挑戦し続ける姿勢は、法華経の教えの本質である「過程の尊さ」と「全ての人が仏になる可能性」を示しており、彼の生き様が法華経の精神と深く重なることが理解できます。
これからもずっと辰吉選手の「男の生き様」を応援させて頂きたいと思います。